RGN#4

参加してきました。
例によってリアルタイムでWikiに書いたメモを晒しておきます。
http://gamedeep.niu.ne.jp/yapw.cgi/RGN%234

詳しい感想は後ほど、のつもり。

ゲームとは何か?

とりあえずこれだけはさっさと書いておきたいので。

川邊先生の発表内容は、ある意味今回最大の収穫でした。中身はまさしく自分が興味持ってるあたりの話に直撃。
しかし面白かったかというと実はNoで、もっと大胆な考え方をしている自分からすると、川邊先生の発表では"Survive"というキーワードが一般性を弱めてしまっているように思いましたよ。
自分の意見を超大雑把に書きますと:遺伝競争というゲームにおいて適応して勝利してきた我々は、必然的に「ゲームっぽい構造を見たら思わず戦って勝とうとしてしまう」ようになっている(そういう行動特性を持った奴ほど勝つ確率が高く、勝った奴の方が生き残りやすい)。このとき、目の前の勝負が生存競争であるかどうかなんて関係ない。なんかそれっぽければ十分(解発行動?)。その根源は遅くとも生物が遺伝競争を始めた段階から既にあった。言わば遺伝競争そのものが「ゲーム構造」である。
……なんて話を懇親会あたりで直接話せばもっと得られるものがあったんじゃん、と帰り道に至って気づいたあたりが弱々。ダサー。

佐々木さんに聞いてみた

ずいぶんインパクトのある発表をしていただいた佐々木さんに、一つだけどうしても聞きたい話があったので懇親会にて突撃してちょっとだけ聞いてみた。
発表の中で、佐々木さん自身が過去にやった実験として、演劇にて役者と客の関係を入れ替えてみるために客を舞台に上げてみたことが、という話をしていた。そのときの状況について聞いてみたかったのだ。

  • 「客を舞台に上げる」という演出(?)をやることについての予告は一切なしでやった
  • 結構お客さんのノリは良かった。わりとあっさり舞台に上がってくれるお客さんがそれなりにいた
  • ハコは200人ぐらいのところと400人ぐらいのところでやった
  • 場所は下北沢

場所が下北沢というのは大きそうだと思った。普通よりはコアな人の割合が高そうだ。
ただ、基本的に演劇ってのは観に来て観てるだけのもの(拍手をするとか笑うとかは実は重要なインタラクションかもしれないが)。対してゲームではプレイヤーはコントローラー握ってさあやるぞというつもりのところから入ってくる。だからこそ演劇でゲーム的な共犯関係を作れればインパクトは大きいのだろうけど。でも相手が複数ってのが辛いんじゃないかなあ。

映画にしろ演劇にしろ、座席に座ってしまったらできることは「観るか、寝るか」だけだ。〈読者〉の選択に関わらず話は進行してしまう。寝て(自分にとっては)うやむやにする権利はあるけど。でも寝ることで進行が止まったりはしない。
小説だけど「はてしない物語」は実はすっげえゲーム的共犯関係を作れてると思う。ただ、「はてしない物語」のその仕掛けは、一冊の本の読者がひとりだってことに依存している。相手が一人ならばその読者に責任を負わせることは簡単だ。それ以上話が進むのを止める権利を与えられるのだから。